飽浦が、白内障手術シミュレーター「KITARO」の開発と販売を目的として株式会社 Frontier Vision 設立する。ドイツ、フランス、米国、韓国、シンガポール、インド、中国、コロンビアの販売代理店を通じて「KITARO」が世界中で販売される。
賛同者からの出資を受けて、飽浦が株式会社 Frontier Vision で調節眼内レンズの開発を始め
る。
初めて調節眼内レンズの試作 (M-ring) を行い、宮崎大学動物病院永延教授のもとで動物実験を行う。
調節眼内レンズの開発を加速させるために、飽浦は、(株)Frontier Vision の代表取締役を辞任し、鳥取大学医学部附属病院次世代高度医療推進センター特任教授>に就任する。鳥取大学次世代高度医療推進センターの飽浦を研究責任者とした調節眼内レンズの開発が、日本医療研究開発機構(AMED)の A-STEP ハイリスク挑戦タイプに採択され、株式会社 Frontier Vision を責任企業として、鳥取大学次世代高度医療推進センター、宮崎大学動物病院、株式会社クニムネをコンソーシアム、株式会社メイホー、株式会社キメラを共同開発企業として研究開発が行われる。
AMED の A-STEP 事業が終了。飽浦は鳥取大学次世代高度医療推進センターを退職する。
Simple-move Lens と Active-move lens の開発を行う為に飽浦が株式会社 MIRAI EYE を設立し、代表取締役に就任する。
動物実験で製品の安全性を確認する事が大切と考え、飽浦が宮崎大学動物病院に研究員と
して勤務する。
宮崎大学の飽浦を課題リーダーとした Simple-move Lens の開発がAMED の ACT-MS に採用され、(株)MIRAI EYE をセットアップ企業、(株)メイホーを共同研究開発企業として開発が行われる。
日本眼科学会総会の国際シンポジウムで、Simple-move Lens について飽浦が発表。
インドでSimple-move Lens の非臨床試験を行うも、プロトコル作成の失敗で臨床試験に進めなかった。
AMED の ACT-MS 事業が終了。
最適化した Simple-move Lens で、インドでの非臨床試験を開始しようとしていた矢先、新型コロナウイルス感染拡大によって、調節眼内レンズの開発がストップする。
この開発がストップしている期間、(株) MIRAI EYE は(株)メイホーと共に、(株)Frontier Vision時代からの宿題であった 8 種類の医療機器の開発を行う。
(株)MIRAI EYE が第 2 種医療機器製造販売業許可を取得。
8 種類の内の 3 種類開瞼器、アイドレープ、瞳孔拡張器の開発が進み、開瞼器は春より、アイドレープと瞳孔拡張器は秋より、まず日本で、そして世界で販売予定。